宗教と輸血の話


「愛するがゆえ」に2歳女児への輸血を拒否した母…1年後再入院し、看取ることに・読売新聞

https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20180827-OYTET50009/

抜粋

・治療は、外科手術だけではまったく不十分

・髄の造血幹細胞がダメージを受けるため、輸血が必要

・母親の考えていることも、一応は理解できました。宗教を信じている人は、現世での生よりも、来世での生を望んでいる。聖書に書かれた「血を食べてはいけない」という教えを破ると、来世で親子は再会できないというのです


私見

最後の一文を逆説すれば「教えを守れば、来世で親子として再会できる」ということでしょうか?まず、「血を食べる=輸血」と解釈するのが正しいのか?という疑問があります。

聖書に限らず、宗教の多くは「はるか昔の人の教えを書面化したもの」であり、ひょっとすると長い歳月の中で、解釈者、継承者によって「解釈が当初とは異なる部分」がある可能性があります。

仮に一番最初の方の意図通りの書物であったとしても、当時と現代では世界情勢や医療技術、生活スタイルは大きく異なり、当時は当たり前に行われていたであろう「何かしらの儀式」も、今では存在しないかもしれません。

つまり「書物の主旨は変わっていないかもしれないが、現代にはそぐわない箇所があるはず」と思います。

 

私は無宗派なので好き勝手に言っていますが、書物やお経に書かれていることが絶対的真実であるならば、それを100%信頼し信仰されている方ならば、必ずや幸せな生活を送っているはずと思われますが、実際はどうなのでしょう?

個人的には「書物やお経に書いてある中で、この部分は参考になるので生活に取り入れよう」という自分都合の解釈ならするかもしれませんが、無宗派なのでしていません。

話を元に戻すと、

「教えを破ると、来世で親子は再会できない」という教えが正しいのか?です。

生まれ変わった時に「同じ人間になれるのか?」「同じ人と結婚できるのか?」「同じ子が生まれてくるのか?」という奇跡が連続で起こる保証を、聖書がしてくれるとは思えませんし、宗教によっては「生まれ変わったら、次は雑草や昆虫、徳を重ねて入れば犬かも」という考えがあるように、

いくら素晴らしい人の教えの書物に書いてあるからといって、絶対真実とは思えませんし、100%保証でもないと思います。

 

まず、「血を食べるって何?」と聞きたいし、現代の誰かがそれを解釈しても、一番最初に提言した人と一致した解釈とは言い切れません。

 

最後に他人がとやかく言える話ではありませんが、2歳の子が「もっと生きたい」と少しでも思っていたのなら、宗教とは「本来は悩んでいる人を救う教え」のはずなのに、残酷な一面を持つものだとも思います。