座り込みは非暴力の反対運動なのか?

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大阪から派遣された警察官が土人という言葉を使った、ということで一部で大騒ぎになっていますが、私は「土人」という言葉を初めて聞きました。

 

聞いた方が差別語と感じればそうなのでしょうが、今回の件は「その警察官個人の問題」であり処分を受けているので、大騒ぎすべきてはないと思います。にもかかわらず、発言した警察官の顔写真や動画を公開し、まるで罪悪人のように延々と取り上げるのも問題だと思います。

 

また、ウィキペディアで反対運動とは

「抗議者は座り込みにおいてレストラン、通路の妨害、政府や企業の事務所など通常方策に沿った場所に居座る。通常、武力や逮捕により強制退去させられるまで、あるいは要求が通るまで居残る。座り込みにより抗議または抗議の代理人に世間の注目を集めるため、歴史的に高い成功率を上げている。非暴力のこの方法により効果的に場所や業務を妨害することができる。抗議者を退去させる際、抗議に反対する人々による暴力に遭うこともあり、逆に世間の同情をひくこともあるため抗議者の願いが届く機会が高まる。」

 

と書かれてあり、私なりの解釈で「その運動は非暴力の方法であり、もし抗議者が暴力にあえば、世間の同情を得ることもある」と読めます。

 

自分たちの願いがかなわないからといって、他人や公の場所に居座って、口頭で言ってどいてくれない時に強制退去させられたら「暴力を受けた」と騒いだり、場合によっては車で進路を妨害し、それを「座り込み運動をしているだけ」と言って正当化するのには無理があると思います。

 

座り込みは自分たちは暴力をふるわないが相手の暴力や暴言を誘発できる可能性のある手法にも思え、反対運動としては不公平を感じます。

 

どうしても反対・阻止したいのならば、裁判で争う・SNSで世論に訴える・警察に届けた上でデモ行進するといった種類が、第3者から見ても「本来の非暴力の反対運動」だと思います。

 


 

それに関連し

「反対運動の人たちが警察官や公務員に放つ暴言」を取り上げることはほとんどなく、一方の警察官の一言二言を「大問題だ」と取り上げる一部のマスコミは「著しく公平性を欠く」と思います。

 

どの地域のマスコミであっても「カメラや記者の眼に映った事実のみを報道するのが基本姿勢であるべき」なのに、記者や編集者あるいは「マスコミのスポンサーのような第3者」の意向によって内容が大げさにあるいは過少に書かれるべきではありません。

 

事実だけの記事を書き、どう思うかは読み手側にゆだねるべきだと思います。

 

ましてや、自分たちマスコミ(新聞社)と同じ考えの個人・団体の意見は記事として大きく取り上げ、反する団体とくに政府に対しては「どんな内容であっても否定的・批判的な内容を含む記事」を書く一部のマスコミは、「本来の報道機関としての体(てい)をなしていない」と思いますし、「紙面やネットを使って民衆を扇動している活動団体」と判断されても仕方がないと思います。

 

そういう意味で、今回の失言事件をマスコミが公平に書いたとしたら

「反対派に土人と発言した警察官がいたが、ヤクザと応戦した反対派の人もいた」

「土人は不適切だと思われる」

「反対派は動画として残していたが、その目的は?」

といった表現が公平なマスコミの記事と思えます。