裁判員制度の終わりのはじまり

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以前から裁判員制度に反対しています。その理由は

・法律の素人を裁判に参加させている点

・裁判に一般常識を反映させたいから、というのが制度のきっかけだそうですが、それならば検事や裁判官、弁護士が町内会の仕事やボランティア活動に積極的に参加し、一般常識を身につければ良いと思う。

・裁判員を選ぶとしたら、せめて「大学の法学部出身者」の中から抽出すれば良い。法曹界に就職せず一般企業に勤めている法学部出身者は多いでしょうし、基礎知識は学んでいて、いわゆる一般常識も身に着けているはず。

・感受性の高い人が裁判員として参加した場合、証拠写真や映像を見ただけ不快になるうえに、その後の人生で思い返す可能性が高い。

・そもそも「裁判に関することは一切しゃべらない」と守秘義務を求めている点で責任が重い。

 

結局、先日の最高裁の判決で

「裁判員が求めた量刑は重すぎる。過去の判例をもとに刑を見直し、結果的に軽くなった」という最高裁の判決が、この記事を書いたきっかけです。

 

過去の判例

つまり、裁判官や弁護士といったプロしか知らない「刑の重み」を判決に用いた時点で、「裁判員の意見は参考にしなかった」ということになります。

たとえばケーキ屋さんに、いきなり素人が参加してもまともなケーキは作れません。

プロの仕事にアマが参加しても役立つどころか、かえってジャマになる場合があります。

裁判員になれば日当が出ます。ひょっとすると、「日当目当てに裁判員になりたい」という人がいたとしても、抽選なのでまず選ばれることはないでしょう。

・裁判員になりたいという人から抽選する

という方法で、この制度を維持するのなら理解はできますが

 

いずれにしろ「日当は税金で支払われている」と思われます。

今回の最高裁の判決は「裁判員は不要だった」という象徴的な出来事だったと思います